プロフィール

関 昭悟

武蔵野クリーンサービス合同会社代表社員
有限会社セキ畳店代表取締役
元日本サッカー協会公認指導者
所沢市消防団第10分団

学生時代

日本のサッカーはワールドカップはもちろんのこと、オリンピック出場すらできない時代に本気でプロになりたいと朝から晩までボールを追いかけていました。 高校進学を前に読売クラブ(現東京ヴェルディ)に行くか、高校で全国高校サッカー選手権を目指すか悩む日々が続きましたが、選手権の夢は捨てきれずに読売クラブを蹴って高校のサッカー 部に入部しました。

卒業後

高校卒業後、家業が畳店ということもありセキ畳店に就職するも、当時機械化が進む業界の中でセキ畳店は手縫いで畳を作っていました。悪戦苦闘する中、3年で手縫の技術を習得しこの商売を 一生続けていくと決意しました。

その後、経営方針の違いで父と衝突することは絶えませんでしたが、代替わりもスムーズに行い代表取締役として地域密着を推進するために所沢の中心地に支店を展開しました。

気づきと自問自答。そして設立へ。

そんな矢先、仕事で見積もりにお伺いするとある共通点に気づきました。
その内容は畳替えと一緒に不要となったタンスや家財道具の処分をしたいという依頼で、どこに頼んでいいかわからず将来のことを考えると少しずつ物を減らしていきたいということでした。
地域に根ざした畳店になることを目標掲げていたので畳店としてやれることはやってきましたが、限界が近づいていることを身にしみて感じるようになりました。

そんなある日ふと母が亡くなった時のことを思い出しました。
悲しみに暮れる暇もなく手配や手続きに追われる毎日で、親戚に頼ろうとも遠方に住んでいるのでなかなかそういうわけにはいきません。そして気持ちの整理がつかないままにやってくる形見分けや遺品整理。
核家族化や少子高齢化が加速する日本では人手に頼ることはかなり難しいことを経験しました。

そんなことを思い出した時
これは畳店の片手間でやる仕事ではない。
何かお役に立てることはないのか。
自問自答する日々が続き出した答えが遺品整理士になることでした。

そこで昼は畳店で働き、夜は遺品整理士の資格を取るために勉強する日々が続き挫折しそうになるといも多々ありましたが、遺品整理士の資格を取得することができました。
そしてその年に新しい会社「武蔵野クリーンサービス合同会社」を設立しました。

しかしテキストに書いてあることと実際の現場ではかなり違うことが多く、実践経験や作業効率が悪いこともあり失敗続きの日々を過ごしていました。

お客様のために

このままだとお役に立てるどころかお客様に迷惑をかけてしまうかもしれない。

居ても立っても居られなくなり片っ端から同業者に電話して修行させてもらえないか打診するも、広いようで狭い業界ではノウハウを明かすことはタブーとされていました。
そんな中でも引き受けてもらえるところもあり無給で働かしてもらうと、自分に足りないところや新しい技術を発見し、自分流に組み替えることで飛躍的に作業が上達し、ミスをすることがなくなってきました。

今では優良事業者として表彰されるまでになり、事態が起こってからの遺品整理ではなく士業や不動産業と連携して生前整理も力を入れて、トータルでお客様のお役に立てることを追求しています。